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大切な友人だから言わないべきなのか、大切な友人だからこそ言うべきなのかわからない。物心ついてから誰かに怒った記憶がなく、怒り方もわからない。私の心はいつもすこしだけ抉れ、鈍い痛みと虚しさだけがある。裏切った分だけ裏切られるのは当然の報いで、悲しんだり傷ついたりする権利もない。好きな音楽をみつけて、いつもの癖でシェアをしようとして、やめる。

 

親の純粋で真っ直ぐで分かりやすい優しさに触れて泣きそうになる。ずっと5畳1Rで気を張りながら仕事をしていると優しさの耐性を完全に失うらしい。冬でも暖かい(すこし暑い)部屋、懐かしい味、目も開けられないくらい白くて眩しい朝、きんと冷えた空気、どれもほんとうによくて、いい帰省だった。一年前に介護用ベッドが置いてあった場所にはとてもたくさんの花束が置かれていて、和室はすこし花の香りがする。

 

友人が「東京に消費される側になったら東京を出る」と言っていて、いいなと思う。私もその基準で自分の居場所を決めたいな。逆に東京にいるときにしかできないことも多くあって、今はそれらを消費して生きてやりたい。東京は好きではないがつまらない場所では決してない。

 

空港が好き。よろこびとさびしさがほぼ均等に共存する空間を私はほかに知らない。もし空港で働いていたら、離別に伴う悲しみに少しは慣れることができるのだろうか。

 

東京に戻ってきた途端に身体が重くなってしまい、乗り換えをする元気もなくて、仕方なく空港からリムジンバスで帰る。今回の新宿回避料はかなり高くついてしまった。